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引退ブログ~甲木未来(セラ)~

こんばんは!4年のセラです!


私もついに"引退"という言葉を使う時が来ました!1年生の頃から3回、引退した先輩たちを見てイイナ〜✨って思ってました(笑)ついに、ついに、私の番です!!

「4年間早かった!」と言う先輩たちをみてきたものの、私の4年間はそう早くはなく、ちゃんと4年間でした。そんな4年間を少し振り返ってみたいと思います。

少し長くなるかもしれませんが、ぜひご精読ください🙇🏻‍♀️


私は、福岡の県立高校で特出した結果を出すこともなく高校バスケットを終えました。そんな私が全国大会に出場するレベルの大学でのバスケット生活は想像以上でした。高校では、頼られる立場で、コートに立つ時間もボールを触る時間も多かったです。でも、まずベンチに入ることから目標に、ユニホームを着ても次はコートに立つこと、そしてボールを触ること、、、自分が当たり前だった環境が果てしなく遠く感じて4年間大丈夫かな〜って思ったこともありました。


1年生。初めてのインカレで私はコートに立つことができました。たまたまリーグ期間に自分の得意としていたことが光って、たまたまユニホームを着ることができた。嬉しかった。

2年生で先生が変わって、気づけば、6月まではまさかのスタートとしてコートに立ってました。信じられません。でも本当です。少しずつ私の本性が顕になって少しずつプレータイムは短くなり、怒られることが増え、少し自信をつけたものが再び打ち砕かれていきました。少し調子に乗りすぎたんだと思います。あの頃のバスケットは正直楽しくなかった。勝てない、できないが続いて顔も暗いし未来が未来じゃなかった。いろんなものに気づけるきっかけになった数ヶ月でした。苦しかったけどあってよかった数ヶ月でした。

3年生になっても思うように行く日と行かない日との繰り返し。で、リーグ終わりの練習試合に前十字靭帯断裂の大怪我。

この場を借りて、誰にも言ってない告白をします。あの練習試合の時、インカレのメンバーを決める場でもあったと思ってました。ずっと自分は調子が振るってなくて他のメンバーの調子が良くて。自分じゃない人が呼ばれる、あ、このままだったらメンバー入れないな、だめだな、なんか落ちてるなってネガティブなことばっかり考えてました。あわよくばなんか怪我とかして言い訳にしてしまおうかな、とか。多分思ってたんだと思います。最初スタートだった人間がメンバー外になる現実を受け入れるのが嫌だったんでしょう。そしたら靭帯切れました。全治10ヶ月。10ヶ月後、最後のリーグが始まる時期。選手として復帰するか、もうスタッフになるか、それとも辞めるか。

正直たくさん悩んだ。たくさん泣いた。

あんなこと考えんかったらよかった。素直に頑張ればよかった。


今、苦しい後輩たち、今後苦しくなった後輩たちへ

嫌でも、へんなことは考えんほうがいい!現実になる。怪我する以上に嫌なことはない!自分が止まっとる間、みんなは成長し続ける。苦しくても踠いてでも進み続けられる環境にいてほしいです。後悔する前に後悔しないための選択をしてほしいと心から願ってます。


苦しかった私に嬉しくて忘れられない出来事が一つありました。靭帯が切れたと診断を受けてから体育館に戻った時、「大丈夫?」と聞かれるのが怖かったんです。だって大丈夫じゃないもん。でも、そんな私に1番に声をかけてくれたのは同期のダンとアコ。


"おかえり"


安心した。涙出た。嬉しかった。

あの時、私が欲しかった言葉でした。2人が言葉の大切さを教えてくれました。何回も2人には言ったけど本当にありがとう。あの言葉のおかげで復帰する決意ができた。多分未来が動けるようになった時に、鹿屋のみんなにかけて欲しい言葉は"おかえり"だって気づきました。それはちゃんとプレーヤーとしての"おかえり"です。みんな、ちゃんと言ってくれた、ありがとう。


復帰してからのことは私のインスタに書いてあるのでぜひ読んでください😌

私の原動力になってくれた一つの要因としては、教育実習で行った担当のクラス・部活の子達の存在もあります。

頑張ると約束をしました。本当に苦しい時にあの約束を思い出させてくれた生徒たちには本当に感謝です。

ありがとう!甲木先生頑張ったよ!

みんなも頑張れる!また会いに行くね✌🏻


1年生の東京で、絶対に4回ここ(東京)にこようって約束した日から、ちゃんと約束を果たすことができました。

4年目の東京、引退した日、

この日も本当にたまたまが重なってコートに4年生5人で立つことができました。

リーグでも、コートに立ってお得意の3Pを決めることができました。思ったより喜んでくれる人が多くて嬉しかったな〜🥲


たくさんの奇跡を起こし続けたチーム力が武器だと胸を張って全員が言える鹿屋体育大学女子バスケットボール部に居続けられたことがいちばんの幸せです。

4年間鹿屋に来て良かった

と、違う理由で思ってました。そんなことを思わせてくれるチームです。これからも応援し続けたい。これを読んでくださっている方もこれからも鹿屋体育大学女子バスケットボール部の応援をお願いします。


そして最後に、

木葉さんへ

円陣で私のこと褒めてくれたときのことはきっと一生忘れません。胸にGoProつけてずっこけたことも忘れません。1年間でしたけど、言葉では伝えられないほどのことを学びました。インカレ毎年来てくれてありがとうございます。私これからも頑張ります✊🏻


前村先生へ

今のかおりちゃんが3年間で1番若い!🫶🏻

私が大好きな鹿屋に前村先生は必要不可欠!前村バスケ3年間、きつかったけどその分本当に心から楽しかったです。私、夢叶えますね!


同期のみんなへ

ちゃんと認められてコートに戻るね

と約束したの覚えてますか?約束守れなくてごめん。でも、コートに立てて良かったって言ってくれて嬉しかった。ワイワイできてちょっと冷めてて他人に興味ないけど、でも、この人たちは絶対に裏切らない信じれる信じたい!って思えた人たちでした。最後まで信じさせてくれてありがとう。それぞれの道でまた頑張ろうね!✊🏻


人生バスケットがすべてじゃない

って何度も励ましてもらったことがあります。

引退した今、それを痛感しています。

何であんなに泣いたんだろう、なぜあんなに悩めたんだろう。

でも、その時にはその時にしか出ない感情があって、それは脳みそでは絶対にコントロールできなくて。その感情をその時にすごく大切にしながら一つ一つの感情に向き合ってやりたいことに向き合っていってほしいなって思います。


すごくすごく長いですね。

ごめんなさい。

でも、そんな簡単にまとまらないくらいいろんなことがあって、いろんなことを思った4年間でした。

一言で言うと楽しかった。です!!!!

この経験は、ACのこころさんに言われた言葉なんですけど、後輩たちには応援という形で恩返しを、教員として子どもたちにこれから指導という形で恩送りをしていきたい。


バスケット人生総計すると、14年間。

関わってくださった全ての方に感謝申し上げます。

お父さん、お母さん、何不自由なく好きなようにバスケットさせてくれてありがとう。

思ってた結果にはならんし、ちゃんとコートに立った姿をみせてあげれんでごめん。でも、自慢の娘だ!って言っていいくらい成長したと思うよ!親孝行頑張ります😁✌🏻


本当にこの長い文章、ご精読ありがとうございました!!






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